Memorial Day ラン - 朝日と歴史への敬礼
朝5時。米国は今、祈っている
朝5時。ランニングシューズを履いて、玄関を出た。
街はまだ静まり返っている。車も少ない。人通りもない。
東の空は、濃い紺色から、わずかに赤紫に変わり始めている。
今日は、米国の Memorial Day(戦死者追悼の日)。
米国中の都市で、戦死した兵士たちへの祈りと追悼の儀式が始まっている。墓地には、アメリカンフラッグが置かれている。演説が行われている。サイレンが鳴っている。
そして、今朝、私も、その祈りの一部に加わろうとしている。
不思議な経験だ。日本人の私が、米国の祝日を、朝ランで迎える。
だが、同時に、これが本当の「グローバルな思考」なのかもしれないと感じた。
Memorial Day の歴史
Memorial Day は、米国で最も重要な祝日の一つだ。
始まりは、南北戦争直後の1868年。
北軍の将兵の墓に、南部の人々が花を供えて、敵同士だった兵士たちを追悼した。その行動が、全米に広がり、やがて、全ての戦死者を追悼する日になった。
151年以上の歴史。
その間、米国は、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争など、数多くの戦闘に参加した。
累計で、100万人以上の米国兵士が、異国の地で、あるいは本国で、命を落とした。
Memorial Day は、その100万人以上を、思う日だ。
100万人 = 100万の家族 = 100万の人生 = 失われた可能性
その重さを、朝5時のランニングコースで考えた。
朝5時からの「敬礼」
私のランニングは、決して、その重さに比肩するものではない。
だが、同時に、私なりの「敬礼」だと思った。
完璧な朝4時半ランではなく、朝5時ランを選ぶ。
理由は、昨日の記事で書いた通り。予期しない事態への対応力 = リーダーシップ という学び。
だが、Memorial Day の朝は、さらに別の意味がある。
米国の兵士たちは、決して「完璧な条件下」で戦わなかった。
雨の中、雪の中、砂漠の中、予期しない敵との遭遇の中。
完璧さを求めず、与えられた条件の中で、責任を果たした。
朝5時のランニングは、その「完璧さを求めず、条件を受け入れて実行する」という姿勢への、小さなリスペクトだ。
5時に走り始めた。
朝日はまだ、地平線の下。空は濃い紺色のままだ。
気温は18℃。初夏の朝とは思えない涼しさ。
走ること3分。走ること5分。
そして、5分30秒。
突然、東の空が変わった。
深紅色が広がる。やがて黄金色に変わる。そして、太陽が姿を現す。
その瞬間、涙が出た。
単なる朝日の美しさではなく、100万人以上の兵士たちが見ることができなかった朝日を、今、自分が見ている という現実。
その感謝が、込み上げてきた。
朝ランの「気持ちいい」の正体
朝5時から朝6時までのランニングは、確かに「気持ちいい」。
だが、その「気持ちいい」の正体は、単なる「爽快感」ではない。
脳科学的には、セロトニン分泌、体内時計リセット、脂肪燃焼などが関係しているのはわかっている。
だが、Memorial Day の朝に感じた「気持ちいい」は、それ以上の何かだった。
「与えられた命を、精一杯使う」という実感。
朝日を見ながら走るとき、心の奥底には、こんな思いがある:
「この朝を迎えられることが、どれだけ恵まれたことか」
その感謝の気持ちが、パフォーマンスを高めるのだ。